07 清水橋 [山手線内跨道橋巡り]
山手線の内側にある跨道橋を巡っています。
No.07 は、清水橋です。
清水橋は、文京区本郷6丁目と西片2丁目の
それぞれの台地を結ぶ橋です。
下をくぐっているのは言問通り。
西南へ向かうと春日通り。
正面に見える立派なビルは文京区役所。
文京区役所の展望フロアーは眺めがいいですね。
東京の穴場スポットです。
振り返って北東側を行くと、
本郷通りとクロスし、根津、鴬谷へと至ります。
清水橋のある文京区は、
明治の文豪が多く暮したところです。
散歩していると、森鴎外や夏目漱石などを記念した碑や
ゆかりの建物が目に飛び込んできます。
この清水橋の南側、本郷5丁目は、
樋口一葉ゆかりの地として知られています。
清水橋は、樋口一葉の日記に空橋(からはし)の名で登場します。
そんな、明治の香りのする場所に架けられていることもあり、
この橋のファンがたくさんいらっしゃるそうですね。
ところで、街中にあるのに、なぜ清水橋なのでしょうか?
調べてみました。
橋をくぐる言問通りは、かつては谷底で、
そこを川が流れていました。
その清水にちなみ、今の橋の名前になったとのことです。
古くからある橋で、明治時代は木造でしたが、
大正時代に架け替えられ、現在の形になったようです。
橋の上に立つと、台地が平坦ではなく、
上下にうねっているのがわかります。
そんな起伏に気をとられていると、
いつのまにか橋を通過してしまいます。
台地の上では存在感のない橋です。
下と上とは、
北側は階段付きのスロープで、
南側は二つの階段でつながっています。
マンション付属のらせん階段で上がれるのがユニーク。
しかし、ここでは建物をぐるっと回り、
裏の公道の階段を上るのが正式な移動の仕方のようです。
さて、
折角なので、少し近く散歩してみましょう。
かつて、本郷6丁目は森川町、5丁目は臺町(台町)と呼ばれていました。
文京区は高層ビル建築ラッシュですが、
ここはまだその波が押し寄せていないので、
古い建物が多く残されています。
森川町の中心には、不思議な広場があります。
6叉路になっているこの場所、
かつては映世神社という神社があったそうで、
この場所に立つと妙なノスタルジーを感じます。
森川町の南の臺町には、
明治時代は旅館と下宿屋が並んでいました。
現在もその名残が残っています。
かつては、地方から東京に来た修学旅行生が多く宿泊しましたが、
最近はどうなんでしょうか?
今の子供は贅沢だから、近代的なホテルに泊まっているのかな?
この古さも今のうちかもしれません。
今度、改めて探訪してみようと思います。
最後は、一葉と縁が深かった菊坂の伊勢屋質店。
一葉の日記からは、当時の苦労が偲ばれます。
此月も伊せ屋がもとにはしらねば事たらず、小袖四つ
羽織二つ、一風呂敷につゝみて、母君と我持ちゆかんとす。
蔵のうちにはるかくれ行ころもがへ
~樋口一葉 明治26年5月の日記から~
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