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15 新並木橋~猿楽橋 [山手線内跨道橋巡り]

東京の都心、山手線の内側
上も下もクルマも人も通過できる跨道橋シリーズ。

15番目は並木橋交差点から、山手線の線路を跨ぎ
代官山へと続く長いスロープにあるクロスです。


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山手線の跨線橋で、線路際でクロスする場所は、
他にも、新宿陸橋、西巣鴨橋、札の辻橋などがあります。

しかし、いずれも線路を跨ぐことが橋の主目的で、
土地の高低差が原因
という条件に合わないため対象外にしました。

まだ条件に合う橋があるのかもしれませんが、
見つかっていないので、
このシリーズは今回で一旦打ち止めとします。

さて、今回の場所。

並木橋の交差点から、渋谷川を渡る新並木橋。
ここから、猿楽町、代官山へと長い坂道が始まります。

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渋谷川を渡ると、東急東横線のガード。
ここには、今はなき「並木橋駅」が設置されていました。

その痕跡を探そうと思っていましたが、

地下鉄副都心線とつなげるための
東横線地下化の工事が進んでおり、
もう高架線のコンクリートは鉄骨に組み換えられていました。

高架線もいずれなくなってしまうでしょうね。
もう少し、早く来ればよかったな、と後悔。

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ガードをくぐり、長い坂を上り始めてすぐに
第一のクロスがあります。

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冒頭の写真ですね。
名前のない橋、というかトンネルというか。


上から北側を観るとこんな感じ
何の変哲もありません。

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南側。

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並木橋駅が設置されていたころは、
このあたりも、店が並んでいたんでしょうね。

風呂屋さんの看板は、当時の名残りでしょうか。
ガードのそばにも酒屋さんが一件。

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こんどは下から、

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くぐって左

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右へときょろきょろ

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スロープを昇っていくと
もう一つの陸橋、猿楽橋があります。
猿楽橋は跨道橋兼跨線橋です。

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猿楽橋も東京都心にある名橋の一つでしょうね。

猿楽橋から並木橋方面を振り返ると、遠くに東横線の線路が見えます。
子供のころから、なぜ東横線は渋谷駅を出て、
一旦山手線の線路から遠ざかってから跨ぐのか、
ちょっと不思議だったんですけど。

並木橋駅を設けたからかな?

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さて、猿楽橋の肌色にペイントされた鉄骨。
コンクリのアーチ

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下とつながる階段

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それにしても、落書きが多いな。
 

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14 千登世橋 [山手線内跨道橋巡り]

人もクルマも上と下を通過する跨道橋。

東京の都心にありながら、
一つの場所で二つの世界がクロスしている場所を巡っています。

14番目は東京の名橋、千登世橋です。

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千登世橋は、豊島区目白と雑司ヶ谷の間
二つの台地の間に架けられた橋です。

橋上は東西に走る目白通り、
下は南北の明治通り、
二つの大通りがここでクロスします。

下の写真は、目白通り
東を向いた景色で、この先に日本女子大学があります。

千登世橋は、たくさんの女子大生が渡る橋でもあります。

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こちらが西側。
西には学習院大学があります。

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目白通りと明治通りは北側の坂でつながります。
どちらの通りも交通量が多いです。

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千登世橋の周辺は、急坂が多く
また高低差も大きいことから、

早い時代から橋を必要としていたようで、
この大事業が行われたのは昭和初期
橋の竣工は昭和7年です。

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東京都では、この橋の歴史的価値を守るため、
平成2年に、親柱、橋の側灯など
修景作業を施し、現在に至っています。

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今度は、橋の上からの眺めです。

明治通り、北側。
遠くに見えるのは池袋のビル街です。

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こちら南側。

早稲田大学、歌舞伎町へと続きます。

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最後は東側に隣接する千登世小橋からの景色です。
私は都電マニアではありませんが、

ここから見た電車の走る風景が好きです。

都電は鬼子母神駅から、池袋の東を北上し
大塚、王子へと向かいます。

遠くにみえる高層ビルは池袋のサンシャイン60。

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早稲田へと向かう都電。

ここから見る景色は、
都電の写真では定番ですね。

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鬼子母神、日本女子大学、桜並木のある神田川、新江戸川公園・・・

千登世橋の周辺には緑が多いですね。
それだけに、不動産業者に狙われやすい場所でもあります。

しばらくしたら、この景色も大きく変わっているかもしれません。

散歩するなら今のうち。

お薦めですよ。

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13 聖橋 [山手線内跨道橋巡り]

クルマと人がクロスする都心の橋
山手線の内側にある跨道橋を巡っています。

今回は神田川の名橋、聖橋(ひじりはし)です。 

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聖橋は神田川と外堀通り、
さらに谷沿いに走るJRの線路を一気に跨ぐ橋ですが、
橋が跨ぐ東西の谷は、自然に形成されたものではなく
江戸時代に人間の手によって掘られたものです。

にわかには信じがたいですね。

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橋の北は文京区湯島、南は千代田区神田駿河台。

付近には、東京医科歯科大学、明治大学などの大学。
予備校、小学生の進学教室など
今でも教育関係の施設が多いので、

学生時代の思い出の場所になっている方も多いのではないでしょうか。


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聖橋は関東大震災の復興橋梁として
総工費72万4307円で2年3ヶ月の歳月を要して昭和2年7月に完成した橋
ということなので、もう80年以上。

東京都の案内板「聖橋の由来」によれば、
神田川の美しい景観にマッチするよう
デザインには特に気を使い、
このモダンなアーチ橋になったそうです。

橋の名前の由来は北側の湯島の聖堂と
南のニコライ堂(日本ハリストス正教会復興大聖堂)
二つの聖堂にちなんでいます。

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聖橋は東京都民にはお馴染みの橋です。
通勤や通学で毎朝観ているという方も多いでしょう。

でも、おそらく、
楽器店など並ぶお茶の水橋から駿河台下へ下りるメインストリートは歩いても
聖橋は渡ったことがない
という人は多いのではないでしょうか。

地元の企業に勤務していたり、医科歯科大の学生さんでもないと、
普段は渡らない橋です。

むしろ、遠くから眺める機会の方が多い。
そこで、橋の上からの景色を載せておきましょう。

地下鉄丸ノ内線に乗っていると、窓の外が数秒明るくなる場所。

電車が好きなのかな?
電車鳩がいました。

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外堀通り西側
左が神田川、右は東京医科歯科大学病院。
丸ノ内線御茶ノ水駅の地上出口があります。

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こちらは東側。
左が湯島聖堂、
日本の教育発祥の地、昌平坂学問所があったのはここです。

正面に総武線の松住町跨道橋が見えます。
総武線が走る緑のアーチ橋は東京の名橋の一つです。

右に中央線の線路、その下で地下鉄丸ノ内線がクロス。
お茶の水は絶景ポイントがいくつもあります。

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外堀通りと橋をつなぐ階段
欄干の装飾が歴史を感じさせてくれます。

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歩道のアーチ。

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橋の下。
おしゃれですよね。

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そして、東側
外堀通りからから見た橋の全景。

跨道橋は、上と下
二つの別の世界を体験できる場所です。

都心の跨道橋は特に面白いですね。 

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最後は、聖橋の二つの「聖」を観ましょう。

まずはニコライ堂。

休日はニコライ堂の前に
絵を描くためのカンバスを広げている人が
ずらりと並びます。 

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それから、湯島聖堂。

お茶の水、聖橋は東京人のお馴染みの場所ですが、

すぐ北にある神田明神へ足を運んでも
湯島聖堂へは行ったことがないという人が多いですよね。

実は、私も今まで奥まで入ったことがなかったのです。
で、正直びっくり。

これが孔子の銅像。

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歴史を感じる階段を昇ると

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ありゃ、中国のお寺じゃん!
こんな場所だったんだぁ。。。。

不勉強でした。

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場所が東京でなければ、
土産もの屋が並ぶ立派な観光施設になっているでしょうね。

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一度、足を運ぶ価値はあります。

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12 大久保そよかぜ橋 [山手線内跨道橋巡り]

山手線の内側、都心にある跨道橋を巡っています。

条件は上も下も人とクルマが通行できる橋
に限定しています。

No12は、大久保そよかぜ橋です。

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新宿区百人町2丁目と大久保3丁目の間
山手線と並行し、
新大久保と高田馬場の間のを
南北に渡る橋です。

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今はほとんどクルマが通らない橋ですが、

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現在、大久保通りから北へ、
線路沿いに走る道路が建設中だし、

この道ができると、通行量が増え、
環境も大きく変わるでしょうね。

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大久保といえば、コリアンワールドと、
ランドマークのロッテの工場ですかね。

東京育ちの人で、
小学生の時工場見学で訪れた人も多いのではないでしょうか。
ガム貰いませんでした?

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大久保そよかぜ橋は、その北
繁華街から外れた場所にあります。


橋の上からの眺めです。
西側は並行して走るJRと西武線の線路。

 

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東側は大久保の住宅街。
左へ曲がると海城高校です。

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一つだけみると何の変哲もない橋も
並べてみると面白いものですね。

最近は橋の下が気になります。

この橋は絵が描かれていますが、
殺風景な場所が多いです。

芸術家の作品の発表の場所にし、明るくして
通過するときに楽しめる場所にしたらいいんじゃないでしょうか。

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11 袖ヶ崎橋 [山手線内跨道橋巡り]

都心、山手線の内側の跨道橋を巡るシリーズ

No11 は品川区東五反田にある袖ヶ崎橋です。 

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警視庁のある桜田門のT字路から
南へと続く長~い桜田通りの終点が五反田。

五反田駅は、高輪台から緩い長い坂を
下ったところにありますが、

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この坂は人工の坂で、
自然の地形では手前が崖になっています。 

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その下で道路が一本クロスしています。

この場所に「袖ヶ崎橋」という名前がついています。

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地元の方にはおなじみの場所でしょうが、

周りに知名度のある目玉の史跡が少ないので
街歩きが好きな人でも、なかなか来る機会がないかもしれません。

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なお、橋の名前の 袖ヶ崎(そでがさき)は、
この一帯の旧名です。

かつては、旧薩摩藩主島津家の袖ヶ先邸があり、
周辺には本善寺、雉子神社、など寺社も点在しています。

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側道は一回下って上がります。

きっと川が流れていたんでしょうね。

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10 乃木坂陸橋 [山手線内跨道橋巡り]

都心、山手線の内側の跨道橋を巡っています。

No10は、港区赤坂と南青山の境界にある乃木坂陸橋です。
 

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乃木坂陸橋は、高台を南北に走る外苑東通りと、

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低地を東西に走る赤坂通りがクロスするところにあります。

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上下の通りをクルマでは
橋の東側のスロープ経由で移動します。

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ところで、乃木坂の地名は、
明治の軍人、乃木希典の旧宅がこの地にあったことに由来します。

橋の北側にある旧乃木邸跡は、

家の建物、馬小屋、金沢の辻占売りの子供との逸話を記念した銅像など
のある公園になっています。

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東に隣接するのが、乃木神社。

神社に祀られている神様が、
写真のある近世の人物というのが珍しいですよね。。
それだけ、影響力が大きい人物だったということがわかります。

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さて、赤坂方面から、乃木坂陸橋をくぐると、

そのまま自動車専用のトンネルに入り、
前の記事で紹介した、南青山陸橋へとつながります。

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トンネルをぬけると、平らなまま高台にある青山墓地、
眺めのいい青山陸橋へとつながるので、

地下を走っていたら、いつのまにか高台に出ている
という状態になります。

港区は本当にデコボコしています。

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橋の下、西から外苑東通りをくぐった地点に、
地下鉄千代田線 乃木坂駅の入口があります。

乃木坂トンネルの真下にちょうど駅のホームがあり、
西側の南青山陸橋の下にも入口があるということは、

この駅長いな。

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少し離れて、赤坂から乃木坂を見た景色。

私にとっては久しぶりの乃木坂でしたが、
以前来たときは、まだ乃木坂トンネルを工事していました。

当時は、殺風景な景観の場所という印象でしたが、
すっかり変わってしまいました。

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09 南青山陸橋 [山手線内跨道橋巡り]

東京の山手線の内側にある陸橋を巡っています。

No.09は南青山陸橋。

港区南青山二丁目と、一丁目
その間を南北に走る谷に架けられた橋です。  

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No.08の青山(陸)橋から、青山霊園内を
東へ300メートルほど進むと、

トンネルが見えてきます。

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このトンネル、
青山一丁目の地中を東西に貫いていますが、

眺めのいい青山橋から
平らな土地を歩いてすぐトンネルが現れるので、
不思議な感じがします。

しかも、このトンネルの一部が橋の上です。

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トンネル内は自動車専用道路ですが、
横に歩道が設けられています。

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下の道路とは四か所の階段で往来できるようになっています。

トンネルの下、地下深くに地下鉄千代田線が走っていて
橋の真下に乃木坂駅の入口があります。

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橋の上を走るのは赤坂通り。
橋をくぐるのは外苑西通りと外苑東通りの中間の道で、
ここはかつて都電が走っていましたね。
品川駅を起点に四ツ谷三丁目まで行く7番です。

さて、橋の上から見た景色。

北は青山霊園の東縁に沿って進み
青山一丁目の交差点へつながります。

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南側は、正面に六本木ヒルズ森タワーが聳え立ちます。
手前が六本木トンネル。
平成になってできた新しい道路です。

そのまま六本木通りをくぐり、
麻布十番の交差点へつながります。

上記の都電7番は手前を右に折れ、
西麻布の交差点へと向かっていました。

西麻布は、かつて霞町と呼ばれていましたね。
浅田次郎の小説「霞町物語」の舞台です。

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ここが橋の東のはずれ。

橋の歩道は階段で台地とつながり、
トンネルはそのまま地下へもぐります。

たとえは悪いけど、大腸が飛びだしているみたい。 

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それにしても、変化が激しいですね。

2003年に六本木ヒルズが開業、
2007年には、この橋のすぐ南側に国立新美術館がオープン、
同年には東京ミッドタウンも出来ているし、
近年、この付近の景色や人の流れが大きく変わっています。

古くから東京を知っている人は、
タイムトンネルで移動したような気分になるかもしれません。


08 青山橋 [山手線内跨道橋巡り]

青山橋は、港区南青山4丁目と2丁目を結ぶグリーンの橋。
今売られていいる地図での表示は青山陸橋となっています。 

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乃木坂陸橋、南青山陸橋とともに、
青山陸橋3兄弟(と、勝手に呼んでいます)の一つ。

青山3丁目の交差点から、外苑西通りを南へ行くと、
左に青山墓地の広大な敷地を感じながら歩く形になります。

外苑西通りは北青山まではキラー通りと呼ばれ、
ファッション関係の店が並ぶ、華やかなイメージがありますが、

青山通りの南側は、かつては都電が走らないさびしい通りで、
いまも、雑踏から数分で人けの少ない場所に変わります。

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青山墓地は、南側がとがった台地の上にあります。

外苑西通りは、その台地の西側の谷を流れた川のあとです。

この付近の土地は、非常に起伏に富んでいまして、
南北に走る複数の谷が、人の東西の移動を邪魔しています。

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坂を上がっては下り、上がっては下りのくりかえしで
歩けばきついし、クルマで走っても効率が悪い。
一発でスーッ と移動できたらいいのに。
よし、ここに橋を架けちゃえ。

ということで作られた橋ですね。^^

谷を東西に横断する道路の計画は、戦前からあったようです。

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さて、階段を上り、橋の上に立つと、
視界が開け、様相が一変します。

下の写真、

木々の上に顔を出している二つの建物
左が東京ミッドタウン、右が六本木ヒルズの高層ビルです。

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最近の青山墓地は、観光地になっているようですね。

地方から東京に遊びに来たと思われる人たちや
外国人旅行者も多く見かけました。

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橋からの眺めです。

北青山方面

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南、麻布方面

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春は桜がきれいでしょうね。

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東京にも、まだまだ自然が残されていますね。

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07 清水橋 [山手線内跨道橋巡り]

山手線の内側にある跨道橋を巡っています。

No.07 は、清水橋です。

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清水橋は、文京区本郷6丁目と西片2丁目の
それぞれの台地を結ぶ橋です。

下をくぐっているのは言問通り。

西南へ向かうと春日通り。
正面に見える立派なビルは文京区役所。

文京区役所の展望フロアーは眺めがいいですね。
東京の穴場スポットです。

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振り返って北東側を行くと、

本郷通りとクロスし、根津、鴬谷へと至ります。

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清水橋のある文京区は、
明治の文豪が多く暮したところです。

散歩していると、森鴎外や夏目漱石などを記念した碑や
ゆかりの建物が目に飛び込んできます。

この清水橋の南側、本郷5丁目は、
樋口一葉ゆかりの地として知られています。

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清水橋は、樋口一葉の日記に空橋(からはし)の名で登場します。

そんな、明治の香りのする場所に架けられていることもあり、
この橋のファンがたくさんいらっしゃるそうですね。

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ところで、街中にあるのに、なぜ清水橋なのでしょうか?


調べてみました。


橋をくぐる言問通りは、かつては谷底で、
そこを川が流れていました。
その清水にちなみ、今の橋の名前になったとのことです。

古くからある橋で、明治時代は木造でしたが、
大正時代に架け替えられ、現在の形になったようです。

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橋の上に立つと、台地が平坦ではなく、
上下にうねっているのがわかります。

そんな起伏に気をとられていると、
いつのまにか橋を通過してしまいます。

台地の上では存在感のない橋です。

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下と上とは、
北側は階段付きのスロープで、
南側は二つの階段でつながっています。

マンション付属のらせん階段で上がれるのがユニーク。

しかし、ここでは建物をぐるっと回り、
裏の公道の階段を上るのが正式な移動の仕方のようです。

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さて、
折角なので、少し近く散歩してみましょう。

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かつて、本郷6丁目は森川町、5丁目は臺町(台町)と呼ばれていました。

文京区は高層ビル建築ラッシュですが、
ここはまだその波が押し寄せていないので、
古い建物が多く残されています。


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森川町の中心には、不思議な広場があります。
6叉路になっているこの場所、

かつては映世神社という神社があったそうで、
この場所に立つと妙なノスタルジーを感じます。

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森川町の南の臺町には、
明治時代は旅館と下宿屋が並んでいました。

現在もその名残が残っています。

かつては、地方から東京に来た修学旅行生が多く宿泊しましたが、
最近はどうなんでしょうか?

今の子供は贅沢だから、近代的なホテルに泊まっているのかな?

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この古さも今のうちかもしれません。
今度、改めて探訪してみようと思います。


最後は、一葉と縁が深かった菊坂の伊勢屋質店。
一葉の日記からは、当時の苦労が偲ばれます。

此月も伊せ屋がもとにはしらねば事たらず、小袖四つ
羽織二つ、一風呂敷につゝみて、母君と我持ちゆかんとす。
蔵のうちにはるかくれ行ころもがへ
  ~樋口一葉 明治26年5月の日記から~

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06 東台橋 [山手線内跨道橋巡り]

山手線の内側にある跨道橋を巡っています。

日ごろ、見過ごしてしまうものでも
集めて比較してみると面白く感じたりします。

そんなわけで、今回は
北区田端にある東台橋(とうだいはし)へ行ってみました。

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アーチがきれいな橋ですよね。

橋の上を走る道は、
滝野川から西日暮里で一度坂を下りますが、
日暮里を経て上野の山へとつながる道。

近年、東京のおすすめお散歩コースの一つになっています。

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下を走るのは、田端駅から不忍通りへ、
台地を南北に貫いて走る大通りです。

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山手線を時計回りに乗ると、
田端駅の手前から上野駅までは
左側の車窓が市街地で、右側は崖しかみえませんね。

東台橋はその崖の、さらにその上にある橋。

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田端駅付近は標高が高く、

この東台橋は、田端駅を跨ぐ陸橋を
さらに見下ろす渓谷に架かる橋です。

といってもこの谷は人が切り割った人工の谷。

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この東台橋のすぐそばには、
田端のランドマーク的な看板、
「東京水族館」の看板があります。

写真は2008年撮影です。 

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橋の上から不忍通り方向を見ると、

もうひとつ橋が見えますね。

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緑色のアーチがある小さな橋には、
童橋(わらべはし)という名前がつけられています。

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この跨道橋シリーズでは、
この童橋も当初候補に入れていましたが、

クルマの通行禁止ということなので


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歩道橋扱いで番外にしました。

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