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日暮里~鶯谷 [山手線ジグザグ散歩]

79.下御隠殿橋 

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今回は日暮里駅からです。
日暮里駅北口に接続する橋、下御隠殿橋です。

この橋は、小学生のときに毎日のように見ていましたが、
こういう名前がついた橋とは知りませんでした。

日暮里駅は、特に東側は様変わりですね。
この橋も、西側から渡ると南にカーブして下りますが、
現在は橋に接続するビルのエレベーターと階段で降りるように変わっています。

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東口には、菓子の問屋街がありましたが、
今は跡形もなくなり、高層ビルがドーンと建っています。
この高層ビルは西の文京区からもかなり目立ちます。

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舎人ライナーのホームの下をくぐり、南側のロータリーへ出ると、
昭和時代へタイムスリップです。

柳の木とパチンコ屋の看板。
何となくホッとするのはなぜなんだろう?

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80.紅葉橋

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そのロータリーの南の端から日暮里駅の南口のある橋へと登ります。
橋を渡り、坂を上がると

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そこは谷中墓地。

寄り道したいところですが、墓地はあまり得意ではないので
次の橋を求めてお墓の横をセッセと進むことにします。

おや、こんなところに住宅街が。
墓地と線路に挟まれた一角に住宅街があるとは知りませんでした。

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お次は

81.芋坂跨線橋

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こりゃまた、柵だけのしゃれっ気のない橋ですな。
しかし、それがまた逆に不思議なオーラを出しています。

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現在は歩道橋になっていますが、
ここには芋坂という坂がありました。
江戸時代はここで芋が獲れたそうだす。

上野の山に籠った彰義隊が、政府軍に追われ
この坂から退却したと伝えられています。
その際、街道に出たところにあった羽二重団子の店で
野良着に変装したという逸話が残っているそうです。

こういう由緒ある坂が、いくつも鉄道で分断されてしまったんですねェ。

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お次は南へ歩いてしばらくのところにある歩道橋。

正式な名前がわかりませんが、

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82.御隠殿坂跨線橋

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ここも古い歩道橋です。
ちょうど、橋の横で京成線がカーブしてJRの線路を跨ぐので、
電車のゴトゴトという音が響き渡ります。

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橋を渡ったところは谷中墓地の南のはずれ。

写真の緩い坂は御隠殿坂という名前がついています。

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ここは。寛永寺の住職が別邸へ行く道だったそうで、
コッソリと根岸の里へ下っていったことから
こういう名前がついたんでしょうね。

実は谷中墓地へは、肝だめしで来たことがあります。
そのときの記憶がよみがえるせいか、

はっきり言ってこのあたりは苦手です。
この橋も、途中でカーブしていて、
その先がお墓というのがななんとも・・・。

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昼間でも人がいないと出そうな気分になる谷中墓地を抜け、
戻るような形で山手線の線路の方へ歩くと、

京成の線路を越える橋があります。

この橋からは、ちょうど電車が地下から出てくるところが眺められます。

ゴーという音が聞こえてきて、来るぞ、来るぞ、来た―!
という感じがいいですね。

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さて、言問通りへ出てきました。

右へ行き坂を下ると、根津、東京大学がありますが、
今回は左へ曲がり陸橋を渡ります。

83.寛永寺橋

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この先に首都高の入口があることもあり、交通量の多い通りです。

橋を渡り階段を降りると、もうすぐ鶯谷。

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