田町~品川 [山手線ジグザグ散歩]
品川駅から、山手線の線路をジグザグに横断しながら、
ぐるりと回って田町駅まで来ました。
いよいよあと一駅になりました。
写真は田町駅の芝浦側。
昭和30~40年代は低層の商店街が道路に挟んで並んでいただけでした。
若干の面影は残っていますが、
周りが変わってしまいましたね。
一目につかない線路のそばに「放送記念碑」がありました。
大正14年3月22日、日本最初の放送電波が発信されたゆかりの地だそうです。
144 田町駅連絡橋
左は階段の上から芝浦方面をみた景色です。
高層マンションがいくつも出来て、すっかり垢ぬけしました。
駅の出入りも今は二階から。
昔は、改札口は一階にあって、階段を上り連絡通路からホームへ降りる、
よくある造りの地味な駅でした。
再び第一京浜国道へ出ました。
品川方向に歩くと、札の辻の交差点になります。
ここを右折すると、三田通り。
三田通りは北側の桜田通りとともに、
映画「三丁目の夕日」のイメージの場所と言われています。
この札の辻交差点の歩道橋から眺める東京タワーはお薦め。
札の辻の名前は、江戸時代、幕府の法令を掲示した高札が建てられていたことに
由来しています。
この付近は、街道沿いで海に近く、古くから家が立ち並んでいたようです。
南の高輪方面は崖続きで、東京湾が一望できる絶景の地だったそうで、
由緒あるお寺や名跡がいくつも残されています。
145 札の辻橋
芝浦側へ線路を渡る道が少ないこともあり、交通量の多い橋です。
すっかりキレイになりました。
昔は鉄骨のある橋で、この橋の上でいろいろな電車が通過するのを眺めていた記憶があります。
橋を渡り、芝浦側を南下。
下の写真は、田町駅方面を振り返った景色です。
大きなアパートの裏を抜けると、
貨物線の高架橋の下へ出ます。
貨物線は、ここで大きくと東へ曲がり、東京湾方面へと向かい、
天王洲アイルの東側を通り、長い地下トンネルを抜けて川崎まで続く、
ちょっとミステリアスな線です。
146 高輪ガード
ここは街歩きの好きな人には有名なガードですね。
私にとっても、今回のジグザグウォークの発想の原点となった場所です。
子どものころ、このガードを通ったときのインパクトは強烈でした。
当時、老朽化していましたが、そのガードの長さ、狭さ、暗さ
なんだここはぁ!!
の異空間でした。
いつかもう一度、行ってみようと思っていましたが、
長いこと実現しませんでした。
ここを最後に取っておいたと言っても過言ではありません。
それにしても、天井が低いなァ。
身長160センチ以上の人は、屈みながら歩かなければなりません。
もっと暗い印象がありましたが、
予想より明るく、綺麗になっていました。
山手線で駅間の距離が一番長いのは、田町と品川の間です。
この区間は新幹線、横須賀線、東海道線、山手線、京浜東北線と、
並行して走る路線が多く、横断に長い距離が必要。
橋やガードを簡単に作れなかったんでしょうね。
札の辻橋から、品川駅の南の八ッ山橋まで約2キロの間で、
クルマで横断できる場所はここだけです。
それだけに、意外と交通量が多いです。
でも、堪能させていただきましたよ。
ガードを抜けた場所は、高輪。
ついでに泉岳寺へ寄ってみました。
大石内蔵助、義士の墓・・・。
高輪神社(上右)へも寄ってみました。
ついに、スタート地点の品川駅へ戻ってきました。
先ほどの高輪ガードが146番目のクロス。
これまで、山手線の上を
橋で越えたのが48ヶ所。踏切が一つ。
残りの97ヶ所はガードや架線橋で線路の下をくぐりました。
駅の通路や地下街など通らなかった場所もあるので、
山手線は150ヶ所以上で横断できるということになりますね。
一周しての感想。
ガードの名称に古い町の名前が残っていたのが新しい発見でした。
都心では、レンガ造りの架道橋が、
コンクリートの機能優先の橋へと架け替えられていて、
淋しく感じられました。
あと、夜に通りたくない場所もいくつかありましたね。
でも、楽しかったです。
さて、次はどこをジグザグしましょうか。。。
フリダシに戻る。
http://tokyozigzag.blog.so-net.ne.jp/2008-12-16
浜松町~田町② [山手線ジグザグ散歩]
スピリチュアルな雰囲気漂う港町ガードを抜け、
新浜橋へ階段を上がり古川を渡ります。
古川は山手線の内側にある新宿御苑が水源です。
したがって、山手線とのクロスはここ一か所だけ。
上流は渋谷川と呼ばれていますが、途中から名前が古川になり、
東京タワーを見ながら東へ流れ、この新浜橋の先で東京湾へ出ます。
ほとんどが首都高速の下で、話題になることの少ない川です。
再び、山手線の東側を南へ歩きましょう。
光る 光る 東芝
の本社です。
140 (旧)川口町ガード
周辺が開発されてきたので、架道橋も新しくしたのでしょうね。
名称のプレートはありませんでしたが、
ここが、川口町ガードと呼ばれていたことは間違いなさそうです。
山手線の車内からも見える、
ちょっと気になる玉の肌石鹸の看板の真下へ来ました。
玉の肌石鹸は、下町にある老舗の石鹸メーカーです。
子どものころ、よく小学校の水道の蛇口に
ネットに入った石鹸がぶら下がっていましたが、
あの石鹸の会社ですね。
その看板のすごそばにある、古いガード。
141 新浜町ガード
クルマ一台通るのがやっと。
ここも、なかなかの異空間です。
埠頭の方へ向かう道沿いにある有名な外車販売会社。
東京モーターショーが盛んだった昭和40年代、
外国車は男の子のあこがれでした。
ここへ来ると、普段町であまり走っていないベンツやボルボなど、
珍しい外車を見ることができ、興奮した覚えがあります。
142 芝橋ガード
このガードをくぐり、山手線の内側で再び出くわす大通りは、
中央通りから第一京浜に名称が変わっています。
都電が走っていたころは、ここの交差点には、東京港口という停車場がありました。
山手線の内側、線路沿いの道は
高層ビルが立ち並んでいます。
第一京浜国道は、江戸時代は安藤広重の浮世絵でお馴染みの東海道ですが、
この辺りは、町として古くから開けていたようです。
ちなみに、落語の芝浜の舞台はここですね
山手線の線路がある辺りは、ちょうど海岸線で、
私が歩いている道も、江戸時代は、水揚げされた魚を置く「雑魚場(ざこば)」だったようです。
今ではとても信じられませんね。
もっとも、芝浦が埋め立てられたあとも、
ここは山手線の内側まで運河が入り込んでいました。
東京方面に向い山手線に乗ると、田町駅を出てすぐ左に舟がたくさん浮かんでいるのが見えました。
その水路が埋め立てられたのが昭和43年。
舟が浮かんでいたところは現在、公園になっています。
そして、
山手線の下を流れていた水路は、芝浦側へ抜ける貴重な連絡通路になっています。
143 雑魚場ガード
昔は、クルマも通っていたように記憶していますが、
今は歩行者専用です。
さて、田町駅が見えてきました。
ゴールの品川駅まであと一駅。
浜松町~田町① [山手線ジグザグ散歩]
137 浜松町ガード
浜松町は遠州浜松出身の名主にちなんでつけられた古い町名です。
消えていく町名が多い中、浜松町だけはメジャーです。
芝増上寺の門前町で、ここからは東京タワーがよく見えました。
赤坂、有楽町、四谷の四谷が浜松町に変更。
赤坂はTBS、有楽町はニッポン放送、
浜松町駅前には文化放送が移転してきました。
最近はラジオを聴くことが少なくなりましたが、
文化放送、文化放送 JOQR♪
大竹まことと吉田照美が看板ですかぁ。
駅も、駅周辺も再開発途上という印象です。
駅の東側には芝離宮の庭園(旧芝離宮恩賜公園)があります。
昔は、入園無料でしたね。
現在は入園料150円です。
中国杭州の西湖を模した堤などがある由緒ある庭園ですが、
子どものころは池の周りで亀と遊んだりしました。
キレイに整備され、もう悪がきが自由に遊べるような場所ではなくなっています。
写真の浜松町駅前の世界貿易センタービルは、昭和45年の建設で
霞が関ビルとともに、東京で最も古い高層ビルの一つです。
出来た時は思わず上を見上げてしまいました。
庭園を出て、海岸通りを南下し、
芝離宮の南側を右折。
東京ガス創業記念碑。
ここがFC東京のスタートの地でもあるわけです。
階段を上がって
138 新浜橋 ~ 浜松町駅連絡歩道橋
浜松町駅から、東側へ線路を渡り東京ガスビル、
古川を渡る新浜橋~東芝本社までつながる長い歩道橋です。
西側の金杉口を出ると、
長いタクシーの列が続いていました。
羽田空港からモノレールで浜松町に着いた
旅行者を待っているんですね。
浜松町は、羽田空港への玄関という顔もあります。
そこから南へ50メートルのところみあるガード
139 港町ガード
いろいろな場所で、山手線とクロスしましたが、
このガードだけは、背筋がゾクッとしました。
先ほど通った歩道橋があるので、
昼でも人通りが少ないのではないでしょうか。
途中で道路の幅が変わるその場所に人が隠れていたら、
そりゃ~、怖いですよねえ。
古いし、すぐ横を川が並行して流れているので湿気があるし、
夜は怖そうだなァ~
つづく
新橋~浜松町② [山手線ジグザグ散歩]
成長著しい汐留です。
かつては、貨物の線路だけ見える、だだっ広い場所でしたが、
21世紀に高層ビル街に変身してしまいました。
ビジネス街ということもあり、休日は閑散としていますが、
麹町から汐留に移転してきた日本テレビ周辺だけは人が集まっているようです。
ゆりかもめの汐留駅。
山手線の東側を平行して走る、ゆりかもめの軌道に沿って南へ。
振り返れば、摩天楼。
右下の写真は山手線の反対側。
日本中央競馬会のビル、ウィンズ汐留。
新橋駅前から移転した場外馬券売り場があります。
そこへと抜けるガードは、2009年1月現在工事中でした。
これができると、汐留側の交通量も増えるのでしょう。
さて、上野駅から高架橋の上を走って来た山手線は
新橋を出て浜松町へ向かう途中で、
土手の線路上を走る電車に変わります。
明治時代、線路が敷設されたころは、
秋葉原や神田のような街中ではなかったのでしょう。
おそらく線路の東側に海が迫っていたはずです。
136 新銭座ガード
泥臭いですねぇ。
こういう異空間が楽しいんですよ。
新銭座(しんせんざ)と呼ばれるこの辺りには、
明治時代、慶応義塾のあったそうです。
私、港区民だったこともありますが、
この付近がそんな由緒あるところとは全く知りませんでした。
現在、新銭座ガードのある場所から北が汐留の再開発地区、
南の景色は昭和時代のまま。
タイムスリップしたような気分になります。
中小企業の小振りのビルとお店や普通の住宅が並び、
その隙間から東京タワーが顔を覗かせる。
これが、私が子供のころに観ていた港区の景色です。
さあ、次は浜松町。
出発地点の品川まであと二駅となりました。
新橋~浜松町① [山手線ジグザグ散歩]
品川から山手線を外回りにジグザグに進み、新橋までやってきました。
汽笛一声 新橋を
場外馬券売り場があった場所は、現在はSL広場になっています。
夜はアルコールを求めるオヤジたちでにぎわいます。
毎晩のようにカメラを担いだテレビ局が取材に来ているので、
出たがりサラリーマンは新橋で一杯ひっかけることをお薦めします。
それにしても、スッキリしてしまいましたね。
西側の烏森口はまだ昭和の雰囲気が残っていますが、
汐留側はゆりかもめの駅に繋がる歩道橋ができたり、大分変りました。
131 烏森橋ガード
先を急ぎましょう。
斜めに山手線をくぐり、すぐ右折
132 日蔭橋ガード
神田では剥き出しだったレンガが、
ここでは白いペンキで塗られています。
ガードをくぐり切らないところで、また左折。
133 芝口橋ガード
工事中でした。
明治時代は、この辺りは芝口と呼んでいたようです。
再び、中央通りへ出てきました。
中央通りは、北から上野、神田、新橋で山手線をくぐり、
途中で第一京浜となって、品川の八ッ山橋で山手線の上を渡ります。
この道、4回もクロスするんですね。
134 源助橋ガード
昔は源助町という町名があったようです。
すでに、港区に入りましたが、江戸時代から町だったこともあり、
由緒ある町の名前がたくさんありましたが、
ほとんどが消えてしまいました。
その名残が、山手線の架道橋ぼ名前に残っています。
ぐるりと回って、中央通りと並行して走る、一本東側の道。
ここは名前がわかりません。
135 (第2)源助橋ガード ??
上を見上げると「源助橋架道橋」との表記があるので、
そうなるよ、ここも「源助橋ガード」ということになるのでしょうか。
それにしても、新しいガードは殺風景ですねェ。
有楽町~新橋② [山手線ジグザグ散歩]
有楽町から新橋へ向かい高架橋の横を歩いています。
127 山下橋ガード
千代田区教育委員会の解説によれば、
ここに山下橋がありました。山下門に付随する見附橋です。
寛永13年(1636年)、肥後熊本藩の細川忠利の担当で建設されましたが、江戸城御門の中では、最小であったようです。
とあります。ここに江戸城へ繋がる小さな門があったんですね。
今は、VIPから見下ろされています。
後ろは帝国ホテル、インペリアルプラザです。
ここを走る東海道線は、山下橋架道橋から、
次の一本先の南の通りまで、高架線の上ではなく
長~い建物の上を走っている感じです。
その壁沿いにクルマが一台走れる細い道が続いています。
ガードの途中に、異空間への入口があります。
「新橋方面近道」とやらを行ってみましょう。
インターナショナルアーケード。
おや?
誰も歩いていないお~
どこまで行っても、こんな調子。
土曜日の真昼間ですよ。
ハッキリ言って、探検ですね。
平日の昼や夜に、このシャッターがどの程度開くのかわかりませんが、店の名前がないところを見ると、ほとんどが空いているようです。
帝国ホテルからすぐの場所に、こんなシャッター通りがあるとは知りませんでした。
昔は賑やかだったんでしょうけど、
それはいつごろの話なんでしょうかね。
砂浜で自由の女神をみつけたチャールトンヘストン
は、映画「猿の惑星」
過去をさまよう若き科学者ダグとトニー
といえば、「タイムトンネル」
昭和の空気を吸いたいなら、
有楽町「インターナショナルアーケード」へ、
といいたいところですが、
正直、一人で行くのは怖い。
長いアーケード?をやっと抜けました。
終点付近は、大手タクシー会社の車庫に利用されていました。
さきほどの壁沿いの細い道はタクシーやハイヤーの専用道路になっているようです。
128.内幸橋ガード
みずほ銀行の本店が見えます。
お次は
129 幸橋ガード
幸橋ガードをくぐるり、土橋の交差点の手前を右折。
幅の広い、外堀通りがクロスします。
130 二葉橋ガード
ガードの向こうは、虎の門、霞が関、赤坂方面です。
左はもう新橋駅。
新橋ガードだと思っていたら違うんですね。
ここも、聞いたことのない「二葉橋」という名前がついています。
ありゃ、派手な看板つけちゃいましたね。
以前は古いペプシコーラの看板があったんですよ。
ガードをくぐり、振り返ると汐留の高層ビル群がズドーン!!
これも21世紀の風景です。
さあ、もうすぐ新橋駅。
有楽町~新橋① [山手線ジグザグ散歩]
有楽町駅です。
ご年輩の方には、有楽町駅前→「そごう」
ではないでしょうか。
休日は、日比谷で映画を見て、有楽町そごうや銀座のデパートでお買い物。
これが高度成長期の東京における定番コースでした。
そごうデパートは、2000年に民事再生法の適用を申請。
有楽町から撤退してしまいましたが、コマーシャルソングだった、
フランク永井の「有楽町で逢いましょう」とともに
東京都民の記憶に強く刻まれています。
現在はビックカメラの店舗になっていますね。
そのビックカメラも最近は勢いがないようです。
時代は大きく変化していますが・・・。
123 有楽町中央口ガード
有楽町駅のホームの下にあるガードですが、
ほとんどの人が、ここを通ったことはあっても、
ジックリ眺めたことはないのではないでしょうか。
良く見るとレンガ造りの美しいガードですよ。
このレンガ色の壁だけは昔から変わりません。
ガードをくぐり東口へ出ましょう。
ここも、最近、再開発で高層ビルが建ちました。
昔の名残があるのは、果物屋と中華料理屋のある一角だけです。
駅の東側を南下、
横断歩道を西へ渡り、
鋭角に右折して、戻るようにガードをくぐります。
124 第2有楽橋ガード
ガードを挟んだ駅と反対側の高架下は、三角形の島のようになってします。
信号を二つ渡らなければならない、行きづらい場所になっているせいか、
ここには古さ、昭和っぽさが残っていますね。
道の向こうの日劇のあった場所は、阪急百貨店が入り、
新しくなってしまいましたが、
ダンスの衣装は今もここで買えます。
線路の西側を歩き、左へ角を曲ると、
突如、異空間へと迷いこみます。
一杯飲み屋が並ぶ”有楽コンコース”
真の、「有楽町ガード下」、とはここを言うのでしょう。
その有楽コンコースがあるのは
125 第1有楽橋ガード
晴海通りはここで山手線とクロスします。
上と下の写真。
ガードの向こうが日比谷の映画館街・・・といっても、
最近は映画館がほとんどなくなってしまいました。
さらにその向こうは、日比谷公園です。
逆に手前の方向へ戻ると、数寄屋橋、銀座四丁目~築地へと繋がります。
さて、再び、山手線の外側へ出て、高架橋に沿って歩きましょう。
この辺りの酒場は、社会人なりたての頃、よくお酒を飲みに来ましたよ。
大分。お店の名前が変わってしまいましたが、
夜は今もサラリーマンで溢れているんでしょうね。
懐かしいです。
この辺りも、高架橋の下に細い道があり、
夜はちょっとした探検ができます。
女性にはお薦めできませんね。
この高架橋下も、懐かしいです。
126 第1有楽橋高架橋下
東京~有楽町 [山手線ジグザグ散歩]
新幹線で上京し、八重洲口を出て最初に見える景色がこちらです。
キャスターのついた大きな荷物を引きずりながら歩く、
それらしい若者の姿を、よく見かけます。
そして、故郷へ帰る長距離バスが出発するのもここ。
東京駅には入らず、八重洲口を南へ歩き、鍛冶橋の交差点を右折。
120.鍛冶橋ガード
ガードの向こうに見える近代的なビルは、東京国際フォーラムですね。
1991年に新宿へ移転するまで、ここに都庁がありました。
鍛冶橋ガードをくぐったところは、都庁前という都電の停留所がありました。
そのまままっすぐ歩くと、馬場先門、二重橋へ着きます。
さて、このあたりも古い高架橋。
手入れされていないレンガの壁が目に入ってきます。
高架橋の下、ところどころ通りぬけられるようになっています。
121 第四有楽町高架橋下
ガードにしても、通路にしても、橋でも
山手線とクロスする部分が自己主張しているところを
選んで通過していますが、この辺りでどこを通ったらいいのか
基準が曖昧になってきてしまいました。
とりあえず、一か所通過。
新幹線の高架下を歩くと、すぐあるのが、
122.第3有楽橋ガード
ここをくぐれば、そごう・・・・いや、ビック・カメラです。
神田~東京 [山手線ジグザグ散歩]
山手線をジグザグに横断しながら南へ歩いています。
神田駅東口の「健やかに」の兄妹像。
神田駅へは何度も来ていますが、この辺りには売店が出ていたりするので
いつも、気がつかないまま通りずぎていました。
東口を出てすぐ、高架橋の下をぬける通路があったので通過。
夜は賑やかでしょうね。
110 第2鍛冶町橋高架橋下
秋葉原から新橋まで、JRの高架橋は道路を斜めに横切ります。
そのため、線路を順にクロスするとジグザグより、
三角形を描きながらに歩くことになります。
ガードを二つくぐって元の位置に戻る。
この繰り返しです。
ここも、高架橋の下の通路を抜け、
ガードをくぐり、再び神田駅東口へ戻ります。
111.上白壁橋ガード
神田駅周辺は、高架橋の下が店舗等に利用され、
細い通路があり、どこを歩けばいいのか混乱してきます。
とりあえず、山手線の外側を線路に沿い南口へ。
112.新石橋ガード
一旦北へ戻り、
再び線路に沿って南西の方角へ歩く。
古い鉄骨と煉瓦が目につきます。
この付近の高架橋は歴史的な建造物のはずなのですが、
メンテナンスが悪いというか、
もう少し工夫して保存出来ないもんでしょうかね。
次も、古いレンガの壁のガードです。
113.千代田橋ガード
神田金物通りを歩き、山手線の線路をくぐり南口へ戻ります。
一本南の道へ行き。
114.西今川橋ガード
老朽化しているので、工事が必要なのはわかりますが、
このレトロな感じをうまく残してほしいですね。
無頓着にレンガ造りの壁を壊し、
無味乾燥なコンクリの高架橋に架け替える場所が多いです。
115.今川小路
一杯飲み屋が並ぶ有名な小路。
夜は全く違う顔になる場所です。
ここも工事中でした。
116.本銀橋ガード
外堀通りに出て、左折。
117.龍閑橋ガード
龍閑橋の「龍閑」、龍が閑(ひま)??
何か曰く因縁があるのかなと思い、検索してみました。
名称の由来は、江戸時代のお坊さんの名前、「井上龍閑」。
この付近には龍閑川という日本橋川に注ぐ川が流れ、
そこに龍閑橋が架けられていたそうです。
ガードの名前は、現在の地名から想像できない
意外な名前がつけられているものが多いので、面白いです。
ガードを通過するときプレートを探すのが癖になりそうです。
新常盤橋の交差点を右折、
新常盤橋で日本橋川を渡り、
東京駅の方角に線路沿いに南へ歩きます。
新常盤橋から、永代通りへ。
この道は、かつては都電が走っていました。
子どものころ、大手町方面から都電がガードをくぐると
T字路を曲がって行く姿がなんとなく好きでした。
今は、新幹線の高架橋が出来、
半分日陰の道になってしまいました。
118.常盤橋ガード
写真の左へ行くと日本銀行があります。
右は大手町、読売新聞の本社などがあります。
お正月の駅伝ランナーが走る道です。
ゴールの手前、最後にくぐるガードが常盤橋ガードですね。
さて、いよいよ東京駅が近づいてきました。
東京駅の北側、山手線と永代通りがクロスする場所。
ここが、神田駅と東京駅との間の8つ目のガードになります。
119.呉服橋ガード
ガードの西側は大企業の本社が建ち並ぶ大手町。
その向こうに皇居の緑が見えます。
この通りの地下は東京メトロ東西線が走っています。
比較的新しい日本橋口。
最近は、ツアーの集合場所によく使われています。
修学旅行生は、ここで観光バスに乗り換えます。
変わりましたねェ。
秋葉原~神田 [山手線ジグザグ散歩]
品川から、外回りに山手線をジグザグに越えながら
秋葉原まで来ました。
秋葉原駅前も、変わりましたね。
第二常磐線と呼ばれたつくばエキスプレスが開通し、
東口に巨大なヨドバシカメラが出店してからは、
人の流れが大きく変わりました。
東西をつなぐ連絡通路。
今回は、クロスする部分それ自体が完結下場所をカウントしているので、
ビルの中の通路や、地下街はノーカウントにしています。
とはいえ、山手線は上野から南はずっと高架線ということもあり、
くぐりぬけられる箇所が多く、だんだん基準が曖昧になってきました。
秋葉原駅の南側。
神田川沿いに東西に走る外堀通りがここでクロス。
102 佐久間ガード
昔は、佐久間町と言いましたね。
佐久間は江戸の材木商の名前です。
ガードをくぐると右はラジオ会館。
オーディオマニアが部品を調達するための小さな店が並んでいる場所。
私も、子供のころここでラジオを買いました。
万世橋の交差点。
石丸電気や、いわゆる電気街はこちら側ですが、
最近はヨドバシカメラに押されているようです。
高田馬場で渡った神田川をもう一度、ここで渡ります。
橋は万世橋。右下、レンガの建物は万世橋停車場の跡、
2006年5月まで、交通博物館がありました。
万世橋は明治17年、上流の昌平橋が流失したため、
その代替でかけられたのが最初ということですが、
神田川で、そんな流失するような出来事って一体何だったのでしょうか。
いろいろな事件があったんでしょうねェ。
現在の万世橋は関東大震災後に架け替えられたものだそうです。
103 柳原通ガード
人通りの少ない通りですが、
江戸時代には、古着を売る店が並び、たいそう賑やかだったそうです。
川っぷちにある柳森神社は、敷地はせまいものの、
由緒あるご神体が同居している、アパートみたいな神社です。
右下の写真は、力士や若い衆が力試しに使った石、力石です。
104 柳橋ガード
この辺りに来ると、人通りも減り、
休日に歩くとちょっとさびしいです。
靖国通りはここでクロス。
靖国通りは、西で青梅街道につながります。
新宿でクロスしたガード42番目だったので、
あれからぐるりと63回クロスしてきゃことになります。
105 平永橋ガード
ガードの向こうには、神田の書店街があります。
やはり、上野から南は高架橋がかなり老朽化していますね。
補修工事も数多く行われており、
古いガードは徐々に消えていく運命にあるようです。
106.107 東松下橋ガード
山手線で、交差点の上に線路があるのはここだけです。
鍵形にガードをくぐる形になりますが、
架道橋は一つなので、左右どちらも東松下橋ガードです。
つづいて、
108 鍋橋ガード
東へ向かい一方通行の神田平成通り。
上野駅前でクロスした中央通りはまたここで、
山手線を斜めにくぐります。
この道の先はご存じ、日本橋。
東海道の出発地点です。
109 神田大通橋ガード
次回は神田駅から。
今、ここにいます。→神田大通橋ガード