御徒町~秋葉原 [山手線ジグザグ散歩]
94 切通橋ガード
アメ横をジグザグというか、グルグルしながら南下。
御徒町駅に到着です。
御徒町の「御徒(おかち)」は、将軍を護衛する下級武士のこと。
彼らがここに住んでいたので、この名前がついています。
このあたりは、農村だった池袋や、お寺だらけの日暮里などと違い、
江戸時代からバリバリの町だったわけですが、
そういう歴史を感じる場所は少ないですね。
駅の名前は御徒町ですが、ここの地名は台東区上野です。
東へ行けば、台東区台東。
なんか、味気ないですよね。
21世紀のテクノロジーをもってすれば、あえて町の名前を統合しないでも
やっていけるような気がするんですがねぇ。
その点、架道橋、ガードの名前には昔の地名が残っていますね。
御徒町駅の下だから、御徒町ガードになるかというと、そうならないから面白いです。
上の春日通りがくぐるところは切通橋ガードだし、南口の方は、
95 同朋橋ガード
春日通りより南は、古い町ですが、
雑居ビルが立ち並び、かといって繁華街という感じでもなく、
雑然とした感じがします。
96.第2御徒町陸橋ガード
ここで御徒町の名称が出てきました。
柱の多い古いガードです。
お次は
97.長者橋ガード
ガードの端から端まで、一軒のレストランとコンビニが向かい合わせです。
これも、ある意味珍しい。
だんだんお店が減り、高架橋の下も倉庫が増えてきました。
98.第1御徒町ガード
二車線ありますが、一方通行です。
ぼんやり運転していると、中央の柱に激突しそうです。
「事故多し」の注意書きに納得。
99.秋葉原電留ガード
蔵前通りと交差するこのガードには秋葉原電留(でんりゅう)という名前がついています。
上野始発の常磐線が、待機するための電留線がこの付近にあるので、
こう呼んでいるんでしょうね。
鉄道に詳しくないので、最初何のことかと思いました。
蔵前通りを渡り、南へと歩きます。
次のガードは、新しくできたガードで、現在高架橋の工事中。
名称がわかりません。
100 都市計画道路補助323号線とJR高架橋交差部ガード
完成後は何か名前がつくのでしょう。
20世紀まで、このガードに向こう側、線路の西側は
神田青果市場がありました。
21世紀は、秋葉原クロスフィールドに再開発され、
高層ビルがそびえ立っています。
かつての電気街もオフィス街へと変容しました。
キレイになった分、特徴が薄れたような感じがします。
JR高架橋の下に、青果市場の名残りがわずかに残されていました。
蔬菜(そさい)
こういうものは残しておいてほしいですね。
さて、次は
神田明神から下ってくると、ここに着くということで・・・地図はコチラです。
101 明神坂ガード
次回は秋葉原駅からスタート。
上野~御徒町 [山手線ジグザグ散歩]
北の玄関口、上野駅です。
浅草口は映画「三丁目の夕日」でも登場しました。
お馴染みのこの建物。
歴史を感じますねェ。
21世紀に入り、駅前に巨大な連絡橋が完成し、
浅草側から一気に駅を乗り越えて上野動物園の方へ抜けられるようになりました。
86.パンダ橋
上野駅の屋上の高さで線路を越える感じですね。
いつの間にか、パンダ橋口という新しい改札口まで出来ています。
変わりましたねェ。
アメ横、広小路方面が一望できます。
公園口のところへと階段を降り、線路に沿って南へ歩きます。
今は閉鎖されている聚楽台のあるビル。
私も何度かここで食事をしたことがあります。
レトロな雰囲気漂う大きなレストランでしたが、
昨年4月に閉店してしまいました。
今のうちに写真に撮っておきましょう。
建物の上に西郷隆盛の銅像があって、
そのまま公園に入っていくのが不思議な感じがしました。
87.上野大通りガード
ガードの名称を書いたプレートを探してもみつからず、
上を見上げ、このガードが上野大通り架道橋であることが判明しました。
アメ横側は五條橋高架橋という名前がついているようです。
いよいよ、アメヤ横丁へ入ります。
これから山手線は浜松町駅まで、ずっと高架橋を走ります。
古い高架橋は下が店舗に利用されているため、
通路がたくさんあります。
どこをくぐっていいのやら。
山手線と京浜東北線が走る高架橋と、
常磐線が待機するための線路のある高架線との間の道。
ここには、山手線をくぐれる通路が3か所あります。
88~90 第一第二五條橋高架橋下
一つ目
二つ目
夜はかなりいかがわしいゾーンに変わりますね。
上右と下の写真が三つ目の通路です。
お次は、れっきとした架道橋です。
91.五條橋ガード
海苔はやっぱりアメ横ですね。
コンビニやスーパーマーケットでは、乾海苔を売っていないので、
いつも、ここまで買いに来ます。
ガードの東側、御徒町駅前通りです。
角で売っているタイ焼きは、四角いんですよ。
ちなみに、ガードの西側。
暮れや正月はまともに歩けません。
さて、この辺りから高架橋の真下を縦断する通路が
御徒町駅に向かって走っています。
線路をくぐる通路は・・・・
一つの建物になってしまっているしなぁ。
第五通路まであるようですね。
ただ、定休日は通行禁止ということで、ここはカウントしないことにしましょう。
アメ横で、唯一、
クルマが普通に通れそうな広さのガード
92.忍川橋ガード
ここのガードも名称のプレートが見つからなくて困りましたが、
上を見上げて架道橋の忍川という名前を発見。
忍川とは、不忍池から流れ出る川で、
かつてここを東西に流れていたそうです。
古いガードには、こういう今は使われていない地名が
結構残っているんですよね。
さて、あとはこの混沌としたアメ横ワールドを堪能し、
御徒町駅び向かおうと思い、
ふと上を見上げてみたら、ありゃりゃ?
プレートがあるぞ。
93.摩利支天橋ガード
ここ、ガードだったんですね。
見落とすところでした。
摩利支天とは、
このガードの西側にある徳大寺のことですね。
摩利支天は、インド出身、陽炎の神様だそうです。
山手線に乗って、御徒町駅に着くと、
窓の外にお寺が見えますよね。
あれです。
さて、次は御徒町。
豪華キャストだね。
鶯谷~上野 [山手線ジグザグ散歩]
山手線の駅前が、次々開発される中、
鶯谷駅前は取り残されたままです。
昭和の香りが漂うといえば聞こえはいいですが、
むしろ場末という方がピッタリ来ます。
北口と言問通りとの間は、ラブホテルがひしめきあい、
その前に昼間から女性が立っている。
これもまた、日本の現実です。
鴬谷はそんな魔界の空気が漂っています。
カメラを構えるのはさすがに危ないので、サッサと先を急ぐことにします。
言問通りに出て、怖れ入谷の鬼子母神の手前を右折。
クルマはスロープ、人は急な階段を昇らなければならない、
お年寄り泣かせの橋。
84.凌雲橋
橋の名前は凌雲橋ですが、ここは上野寛永寺へと上がる坂。
明治時代になって作られたことから、新坂という名前がついています。
白壁の霊園の横を抜け、
線路沿いに歩くと、右にお寺の塀を見て歩き、
交差点を左折。
85.両大師橋
橋の名前は、すぐ横の開山堂に安置されている
二人の大師の像、両大師に由来しています。
10本以上の線路を跨ぐ長い橋からの眺めは壮観!!
橋を渡り、上野の山から一気に下町へおります。
バイク用品のお店が並ぶ上野入谷口通りを南下。
まもなく上野の駅前広場に着きます。
日暮里~鶯谷 [山手線ジグザグ散歩]
79.下御隠殿橋
今回は日暮里駅からです。
日暮里駅北口に接続する橋、下御隠殿橋です。
この橋は、小学生のときに毎日のように見ていましたが、
こういう名前がついた橋とは知りませんでした。
日暮里駅は、特に東側は様変わりですね。
この橋も、西側から渡ると南にカーブして下りますが、
現在は橋に接続するビルのエレベーターと階段で降りるように変わっています。
東口には、菓子の問屋街がありましたが、
今は跡形もなくなり、高層ビルがドーンと建っています。
この高層ビルは西の文京区からもかなり目立ちます。
舎人ライナーのホームの下をくぐり、南側のロータリーへ出ると、
昭和時代へタイムスリップです。
柳の木とパチンコ屋の看板。
何となくホッとするのはなぜなんだろう?
80.紅葉橋
そのロータリーの南の端から日暮里駅の南口のある橋へと登ります。
橋を渡り、坂を上がると
そこは谷中墓地。
寄り道したいところですが、墓地はあまり得意ではないので
次の橋を求めてお墓の横をセッセと進むことにします。
おや、こんなところに住宅街が。
墓地と線路に挟まれた一角に住宅街があるとは知りませんでした。
お次は
81.芋坂跨線橋
こりゃまた、柵だけのしゃれっ気のない橋ですな。
しかし、それがまた逆に不思議なオーラを出しています。
現在は歩道橋になっていますが、
ここには芋坂という坂がありました。
江戸時代はここで芋が獲れたそうだす。
上野の山に籠った彰義隊が、政府軍に追われ
この坂から退却したと伝えられています。
その際、街道に出たところにあった羽二重団子の店で
野良着に変装したという逸話が残っているそうです。
こういう由緒ある坂が、いくつも鉄道で分断されてしまったんですねェ。
お次は南へ歩いてしばらくのところにある歩道橋。
正式な名前がわかりませんが、
82.御隠殿坂跨線橋
ここも古い歩道橋です。
ちょうど、橋の横で京成線がカーブしてJRの線路を跨ぐので、
電車のゴトゴトという音が響き渡ります。
橋を渡ったところは谷中墓地の南のはずれ。
写真の緩い坂は御隠殿坂という名前がついています。
ここは。寛永寺の住職が別邸へ行く道だったそうで、
コッソリと根岸の里へ下っていったことから
こういう名前がついたんでしょうね。
実は谷中墓地へは、肝だめしで来たことがあります。
そのときの記憶がよみがえるせいか、
はっきり言ってこのあたりは苦手です。
この橋も、途中でカーブしていて、
その先がお墓というのがななんとも・・・。
昼間でも人がいないと出そうな気分になる谷中墓地を抜け、
戻るような形で山手線の線路の方へ歩くと、
京成の線路を越える橋があります。
この橋からは、ちょうど電車が地下から出てくるところが眺められます。
ゴーという音が聞こえてきて、来るぞ、来るぞ、来た―!
という感じがいいですね。
さて、言問通りへ出てきました。
右へ行き坂を下ると、根津、東京大学がありますが、
今回は左へ曲がり陸橋を渡ります。
83.寛永寺橋
この先に首都高の入口があることもあり、交通量の多い通りです。
橋を渡り階段を降りると、もうすぐ鶯谷。
西日暮里~日暮里 [山手線ジグザグ散歩]
77.間之坂ガード
品川駅から、山手線を線路沿いにジグザグに歩いています。
西日暮里駅まで来ました。
西日暮里駅は1969年に開業した山手線で最も新しい駅です。
千代田線の開通に伴い、乗換駅として新設されましたが、
その結果、500メートルしか離れていない日暮里駅との間が
山手線の最短区間になりました。
このガードの、間之坂ガードという名称。
山手線と東北本線の間に坂道があるからでしょうか?
今回、このジグザグ歩きで思ったのは、
駅の真下にあるガードに
駅と関係ない名前がついているケースが多いということです。
駅ができてから40年。
東側には新しく舎人線も走り、賑やかになり人通りも多くなりましたね。
山手線の外側を南下するとすぐに、
諏訪神社へと上がる階段に繋がるガードがあります。
78.諏訪坂ガード
暗く長いガードと言うか、トンネルですね。
ここにガードがあるのは知っていましたが、通ったのは初めて。
夜は怖そうだなァ。
諏訪坂ガードを抜けると、諏方神社へ上がる地蔵坂。
この階段が地蔵坂ということは、
諏訪坂ってどの坂???
江戸六地蔵の一つがあったので、地蔵坂というそうです。
とにかくこの周辺は由緒あるお寺、旧跡が多く、
歴史散歩には絶好の場所です。
しかし、坂道に関しては、この地蔵坂のように
ある程度形が残っているものは少ないです。
明治時代に鉄道によってことごとく分断されてしまったんですね。
また、丘の上にへ戻ってきました。
諏方神社の境内を抜け、お寺だらけの谷中へと向かいます。
富士見坂。
富士山が見えるかというと・・・
うっすらと見えました。
坂の向こうの文京区側に高層マンションが続々建てられ、
この台地から見える富士山の姿が消えつつあります。
諏訪台通りをてくてく歩いて、・・・
寄り道したい場所がたくさんあるのですが、
今回は先を急ぎましょう。
御殿坂を下ると日暮里駅です。
田端~西日暮里 [山手線ジグザグ散歩]
76.新田端大橋
むかしむかしのお話、
山手線の駅名を横書きにしようという話があり、
右から書くか左から書くか、駅長を集めて会議が開かれたが、
意見がまとまらない。
多数決で決めようとしたら一人の駅長だけ態度が煮え切らない。
どうして?と尋ねたら、
「どっちでもいいよ。」と
田端の駅長が答えた・・・・・
むか~しの漫談のネタですけど、山手線唯一の回文駅、たばたです。
ここはJR東日本のホームグラウンド、鉄ちゃんの聖地のような場所。
とにかく、ここから王子、赤羽の方へ向かうと線路だらけですよ。
北側に一つ橋がありますが、これはJRの施設専用の車道で、
私のような一般人が通れる道ではないので、
新田端大橋を渡り、山手線の内側へ移動。
昔からある「熱帯魚 東京水族館」の看板
水族館があるのではなく、熱帯魚を売る業者だったと思いますが、
今はどうしているのかな?
東台橋から、新田端大橋を振り返ってみます。
坂を上がって渡った橋を、さらに見下ろしていることになります。
かなりの高低差があることに気付かされます。
田端駅南口へと降りる不動坂。
ここには、不動明王の立像が安置され、不動の滝という滝があったそうです。
この辺りは起伏があるし、江戸、明治のころは絶景だったんじゃないかな?
さて、次は西日暮里駅ですが、
田端~西日暮里間は、踏切はおろか、ガードも橋もありません。
山手線で唯一線路を横断できない区間ですね。
線路沿いの道を、長い坂を下りていきます。
右の崖の上は、進学校として有名な開成学園です。
駒込~田端② [山手線ジグザグ散歩]
75.富士見橋
山手線の内側を東へ歩き、富士見橋を滝野川方面へと渡ります。
富士見橋というくらいだから、橋の上から富士山が見えるんでしょうね。
上の写真の道は台地の上を西北から東南へ走る道で、
富士山はちょうどる西南の方角。見やすい角度になっています。
さて、橋を渡ってはたと困りました。
線路沿いに歩いたら行き止まり。
田端駅の方向へ線路を渡る道がありません。
目の前に京浜東北線と新幹線の線路が立ちはだかってしまいました。
仕方がないので、住宅街を抜け、
京浜東北線に沿って土手の上を北へ、
田端とは反対方向へ歩かざるをえません。
かつて、この辺りにモチ坂という急斜面を蛇行して降りる坂があったそうです。
明治以降、鉄道の敷設で風情のある江戸の坂がことごとく分断されてしまったことがわかります。
これから行く谷中の方にも、そんな坂があります。
この崖の上にミヤリサン製薬の建物があります。
高崎線や宇都宮線を利用している方には、
尾久駅から見える、ミヤリサンの文字の真下にいるといえば、
わかりやすいかもしれません。
で、だらだら坂を下り、歩いて歩いて
上中里駅の手前で、やっと橋が現れました。
車坂跨線橋。
橋の名前に「車」がついていますが、
クルマの通りは少ないですね。
橋を渡り、人気のない道を、田端方面にUターンしましょう。
この辺りは、周りに高い建物がありません。
町はずれの一本道を歩いているような気分です。
京浜東北・上越新幹線と東北本線は、西日暮里駅で分かれ、
王子駅の手前で合流します。
その間の線路に囲まれた細長い島になっている地帯に入りました。
この付近はJRの巨大な基地があります。
鉄道マニアではありませんが、いろいろな車輌が置かれていて、
歩いていて楽しいですね。
上野から高崎線に乗ると尾久駅で、線路の海が見えますが、
その海の真ん中にいる感じです。
貨物線の踏切。
時間が止まっています。
ここが都心から30分以内で来られる場所とは思えませんよね。
さあ、やっと田端駅が近づいてきました。
駒込~田端① [山手線ジグザグ散歩]
71.駒込橋
駒込駅は、西側を本郷通りが横断しています。
白山通りが同じように走る巣鴨駅と雰囲気が似ていますね。
双子の駅のような感じがしますが、開発は巣鴨が先に進みました。
地下鉄開通も巣鴨の方が古い。
駒込駅周辺には懐かしく感じる場所が多いです。
線路に沿って東へ坂をだらだらと下り、
細い路地を抜けると
72.中里道ガード
駒込駅の東口、こちらは本郷通り側と違い少し猥雑な感じがします。
ガードの中もやや薄暗く、異空間感覚があります。
駅の南側はアザレア通り。
アザレアは「つつじ」のことだそうです。
そういえば、駒込駅は土手のつつじが有名。
でも、昔からアザレア通りだったかな?
田端銀座に繋がる道だったのでは?
と記憶をたどってみます。
73.中里用水+中里第一隧道ガード
アザレア通りの一本北側にある通り。
この道が潜っているのが中里用水ガード。
クルマ専用なので、通過するのはやめて
すぐ横にある歩行者専用の中里第一隧道ガードから
山手線の外側へ抜けることにしました。
なぜシーラカンスとアンモナイト?
ここも例によって、地元の小学生の絵が壁画になっています。
地図で確認したら、
中里用水ガードの道(写真右下)はそのまま東で、田端銀座になることがわかりました。
田端銀座の延長がアザレア通りになっているという
私の記憶は間違いでした。
駒込からさらに線路際を東に向かいましょう。
昔から場違いと思っている風俗店が一件。
電車からもよく見えますね。
高い建物がないので、このあたりは見通しがいいです。
74.第二中里踏切
来ました!!
山手線唯一の踏切です。
私が子供ころは、恵比寿と目黒の間にもありましたが、
現在はこの第二中里踏切だけになりました。
踏切を渡ると、新宿湘南ライナーが下を通る橋《中里橋)になっています。
巨大なゴルフボールも、今はここの景色になくてはならないオブジェになっています。
大宮へ向かう新宿湘南ライナーは、
中里橋をくぐると山手線と別れ、トンネルに入ります。
さて、もうすぐ次の田端駅なんですが・・・・。
巣鴨~駒込 [山手線ジグザグ散歩]
巣鴨駅です。
69.巣鴨橋
久しぶりの巣鴨は、観光地の匂いがプンプンしました。
近頃はメディアで、とげぬき地蔵へ続く道を「おばあちゃんの原宿」と
紹介することが増えたこともあって、
駅のまわりも多くの人で賑わっていました。
さて、巣鴨橋を渡り、
山手線の外側を次の駒込駅へ向って東進。
左にサッカーグラウンド、右下に山手線の線路を見ながら
土手をまっすぐ歩いていきます。
70.染井橋
巣鴨~駒込間の距離はわずか700メートル。
駒込駅のある駒込橋との間にあるのは、
この染井橋一つだけです。
橋の名前から、「そめいよしの」を連想しますが、
大いに関係があります。
このあたりは江戸時代、染井村と呼ばれていましたが、
ここの植木屋が江戸時代末期に品種改良した桜が
「染井吉野」。
その「そめい」です。
ところで、
橋の南側は西側が文京区、東側が豊島区。
染井橋が区界になっているわけですが、
文京区民だったことのある私は、
この場所で一つ確かめたいことがありました。
それは橋の北側で文京区がどうなっているのか?
文京区にはJRの線路が”ほとんど”ありません。
郊外の区ならともかく、山手線と中央線が走る都心の区にしては
不思議な感じがしますね。
地図を見るとわかりますが、JRの輪の中にすっぽり収まって
いるんですね。
でも完全ではない。
この染井橋のところで、山手線の外側にわずかばかりはみ出しているのです。
山手線は目白から豊島区を縦走し、
橋の手前で100メートルほど文京区を走り、
また豊島区に戻ります。
北側(上の写真の線路の右側)は、文京区の土地が数百坪あるはずですが、
通りに面した場所には豊島区駒込の表示しか見当たりませんでした。
豊島区に実効支配されているようです。
大塚~巣鴨 [山手線ジグザグ散歩]
大塚駅といえば、山手線で唯一都電がクロスしている場所。
64.大塚ガード
都電の大塚駅前停車場のすぐ東側にあるガードは、
レンガ造りの古いガードです。
65.大塚79号ガード
大塚ガードのすぐ東側にあるガード、
壁画はカラフル。
散歩した日は、大塚駅北口に高層ビルを建設中でした。
このあたりも景色が大きく変わってしまいますね。
その建築現場から1分ほどの場所にある
66.平松ガード
こういう住宅街の中にある隧道は、私のお気に入りです。
静かな街を電車が通り抜けていく。
ガタンゴトンという音。
これも東京の音ですね。
大塚駅のある低地から、再び巣鴨の台地へ登っていきます。
67.江戸橋
線路の外側、北側へ出て、巣鴨駅へと向かいます。
68.宮下橋