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05 抜弁天陸橋 [山手線内跨道橋巡り]

都心、山手線の内側の跨道橋を見て歩いています。

ファイル05 は抜弁天交差点の西にある陸橋です。 

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新宿と新大久保の中間、百人町から

歌舞伎町の北縁をたどりながら東へ歩くと、
明治通りを超えたあたりから一旦下り坂になり、
そこから急坂を登るような地形になっています。

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もとの地形のままでは、クルマが上るには急なので 
傾斜を緩やかにするための人口の斜路が設けられています。

今回の道路がクロスする地点はその途中にあります。


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坂を昇りつめたところ

Y字の交差点の分かれ目には、
抜弁天と呼ばれる小さな社があります。

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抜弁天の歴史は古く、11世紀後半、
源義家が出羽の清原氏との戦い(後三年の役)に向かう途中、
この地に立ち寄り、必勝祈願をしたことが
創建のきっかけと伝えられています。

義家は平泉の藤原氏の協力のもと、
清原氏を滅ぼし、勝利のお礼として
この地に神社建立を勧請したということです。

それにしては小さな社ですよね。

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参道が通り抜けできるから
抜弁天と呼ばれているそうですが、

もうひとつ、苦難を切り抜けるという
義家の故事に因み、こう呼ばれているとのことでした。

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この地点は、東京の中でも標高が高く、

義家が訪れたころは、
西に富士山を望む絶景ポイントだったようです。

現在は、新宿から近いこともあり、
視界を高層ビルが遮っています。

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また、西側を南北に走る明治通りでは、
都市開発が進行中で、
巨大なクレーンが並んでいました。

新しい高層ビルが完成すれば、
ますます土地の高低差が景観から隠れてしまうのでしょう。

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それでも、抜弁天の南西には、
その高低差が感じられる場所が残されています。

冒頭の陸橋を北から南へくぐり、
少し歩くと、左=東側の崖の上に
木々が鬱蒼と茂る神社が現れます。

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社殿が大宰府のある方角、
すなわち、西向きに建てられていることに因み、
西向天神社(にしむきてんじんじゃ)と呼ばれています。

大宰府ですから、当然のことながら
菅原道真がご祭神です。

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大木が茂る崖の上。

参道の階段を上ると、

一瞬、山の中にいるような錯覚に陥ります。

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面白い場所ですね。

街歩きの好きな方にはお勧めのスポットです。

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昔は、眺めがよかったんでしょうね。

長い階段が、
土地の高低差を意識させてくれます。

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コメント 2

73歳

余りの懐かしく 抜弁天の近くに住み(果物屋)高千穂幼稚園、天神小学校に通いました、余りの発展振りに自分の歳を改めて感じています、
父が東大久保町会の副会長を・・・町名も変わってしまいました。
by 73歳 (2020-06-13 17:02) 

Cliff

コメントありがとうございます。
>高千穂幼稚園
もとは高級住宅地で高千穂(商科)大学があったんですよね。よろしかったらこちらの記事もそうぞ。
https://cliff-pinder.blog.ss-blog.jp/2010-01-04
by Cliff (2021-04-29 20:40) 

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