田町~品川 [山手線ジグザグ散歩]
品川駅から、山手線の線路をジグザグに横断しながら、
ぐるりと回って田町駅まで来ました。
いよいよあと一駅になりました。
写真は田町駅の芝浦側。
昭和30~40年代は低層の商店街が道路に挟んで並んでいただけでした。
若干の面影は残っていますが、
周りが変わってしまいましたね。
一目につかない線路のそばに「放送記念碑」がありました。
大正14年3月22日、日本最初の放送電波が発信されたゆかりの地だそうです。
144 田町駅連絡橋
左は階段の上から芝浦方面をみた景色です。
高層マンションがいくつも出来て、すっかり垢ぬけしました。
駅の出入りも今は二階から。
昔は、改札口は一階にあって、階段を上り連絡通路からホームへ降りる、
よくある造りの地味な駅でした。
再び第一京浜国道へ出ました。
品川方向に歩くと、札の辻の交差点になります。
ここを右折すると、三田通り。
三田通りは北側の桜田通りとともに、
映画「三丁目の夕日」のイメージの場所と言われています。
この札の辻交差点の歩道橋から眺める東京タワーはお薦め。
札の辻の名前は、江戸時代、幕府の法令を掲示した高札が建てられていたことに
由来しています。
この付近は、街道沿いで海に近く、古くから家が立ち並んでいたようです。
南の高輪方面は崖続きで、東京湾が一望できる絶景の地だったそうで、
由緒あるお寺や名跡がいくつも残されています。
145 札の辻橋
芝浦側へ線路を渡る道が少ないこともあり、交通量の多い橋です。
すっかりキレイになりました。
昔は鉄骨のある橋で、この橋の上でいろいろな電車が通過するのを眺めていた記憶があります。
橋を渡り、芝浦側を南下。
下の写真は、田町駅方面を振り返った景色です。
大きなアパートの裏を抜けると、
貨物線の高架橋の下へ出ます。
貨物線は、ここで大きくと東へ曲がり、東京湾方面へと向かい、
天王洲アイルの東側を通り、長い地下トンネルを抜けて川崎まで続く、
ちょっとミステリアスな線です。
146 高輪ガード
ここは街歩きの好きな人には有名なガードですね。
私にとっても、今回のジグザグウォークの発想の原点となった場所です。
子どものころ、このガードを通ったときのインパクトは強烈でした。
当時、老朽化していましたが、そのガードの長さ、狭さ、暗さ
なんだここはぁ!!
の異空間でした。
いつかもう一度、行ってみようと思っていましたが、
長いこと実現しませんでした。
ここを最後に取っておいたと言っても過言ではありません。
それにしても、天井が低いなァ。
身長160センチ以上の人は、屈みながら歩かなければなりません。
もっと暗い印象がありましたが、
予想より明るく、綺麗になっていました。
山手線で駅間の距離が一番長いのは、田町と品川の間です。
この区間は新幹線、横須賀線、東海道線、山手線、京浜東北線と、
並行して走る路線が多く、横断に長い距離が必要。
橋やガードを簡単に作れなかったんでしょうね。
札の辻橋から、品川駅の南の八ッ山橋まで約2キロの間で、
クルマで横断できる場所はここだけです。
それだけに、意外と交通量が多いです。
でも、堪能させていただきましたよ。
ガードを抜けた場所は、高輪。
ついでに泉岳寺へ寄ってみました。
大石内蔵助、義士の墓・・・。
高輪神社(上右)へも寄ってみました。
ついに、スタート地点の品川駅へ戻ってきました。
先ほどの高輪ガードが146番目のクロス。
これまで、山手線の上を
橋で越えたのが48ヶ所。踏切が一つ。
残りの97ヶ所はガードや架線橋で線路の下をくぐりました。
駅の通路や地下街など通らなかった場所もあるので、
山手線は150ヶ所以上で横断できるということになりますね。
一周しての感想。
ガードの名称に古い町の名前が残っていたのが新しい発見でした。
都心では、レンガ造りの架道橋が、
コンクリートの機能優先の橋へと架け替えられていて、
淋しく感じられました。
あと、夜に通りたくない場所もいくつかありましたね。
でも、楽しかったです。
さて、次はどこをジグザグしましょうか。。。
フリダシに戻る。
http://tokyozigzag.blog.so-net.ne.jp/2008-12-16
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